「上原ひろみ」さんというジャズピアニストが2019年10月14日(日)の記事で紹介されていた。妻はもともと知っていて、ファンだったらしいのだが、私は恥ずかしながら初めてその名を聴いた。
信条があるらしい。
「努力・気合い・根性」
記事を読むとなんとも生き方が素敵。総じて感じたことは3つ。
好きなものを楽しんでいる。そして、確実にチャンスを掴みにいっている。そして信条のとおり、「努力」していることが容易に想像できる。
チャンスは不公平
すべての人にチャンスは公平には来ない。学校で手を挙げても、全員を指すわけにはいかない。劇の主人公・ヒロインを決めるときも、手を挙げても、最終的に選ばれるのはひとりだ。
ビジネスの世界も、能力通りのポストや役割がやってくるかはわからない。同じ能力を持っていたとしても、同じ実績をつくってきたとしても、選ばれるのがひとりであったとしたら、完全に公平に何かが決定されることはない。
桃太郎が十数名のお遊戯会
そういえば一昔前、保育園だか幼稚園のお遊戯会で、桃太郎が十数人というお遊戯会が話題となった。「公平を期す」ためにとった措置だろう。モンスターペアレンツからの攻撃をかわすために、必要に迫られてとった策とも言える。しかし、「チャンスは公平に来る」「チャンスは誰かから与えられる」という観念を植え付けられて育つ子どもは将来苦しむのではないだろうかと危惧する。年を重ねれば重ねるほどに、「不公平感」「不平等感」を感じる出来事は増えてくる。それを乗り越える考え方や力を身に着けていかなければならない。世の中の厳しさは、傷がそんなに深くないうちに少しずつ触れていく必要があるし、それは親もわかっていく必要がある。
チャンスを掴むために必要な3つのこと
チャンスに気づくこと
アンテナを張っておかなければならない。ごくごく当たり前の話だが、「今がチャンスだ!」「ここがチャンスだ!」と気づかない限り、掴むことは到底できない。
手を挙げること
気づいたら掴まなければならない。「チャンスの神様は前髪しかない」というのはよくう言われること。つまり、通り過ぎたら後ろ髪を掴めないということだ。
チャンスが来た時にささやく天使と悪魔
大きくは2種類の会話がある。
ひとつは「今がチャンスだよ!」という背中を押すアクセルの会話。
もうひとつは「お前にできるのか?」という不安を促すブレーキの会話。
そして困るのは、どちらが天使でどちらが悪魔なのかわからないということだ。声の大きさも、時と場面によるが、気づいたチャンスに困難が伴うと判断された場合は、「ブレーキの会話」の声が大きくなる。
でも重ねていうが、チャンスは何度も来ない。チャンスは逃したらもう掴めないと思ったほうがいい。大事なことは、そのチャレンジが自分の夢やビジョンや目標に繋がっているか。
上原ひろみさんのチャンスの掴み方
上原ひろみさんは、新聞の内容では(ちゃんと訊いてみないと…)確信的なことは言えないのだが、チャンスが来たときの会話にブレーキがないように思えた。「自分のビジョンに繋がっている」ことを直感的に判断しているような感じもするし、その来たチャンスを瞬間的に「楽しさ」に変換する力が秀でている感じもする。
いずれにしても、自分にとっての意味付けが瞬時にされる。これがチャンスを呼び込むし、確実にチャンスを掴んでいく生き方なのだなと思った。
チャンスを掴む準備をしておくこと
上原ひろみさんは、おそらく、死ぬほど努力をしている。まあ、そのプロセスも楽しんでいたのかもしれないが、多くの努力のプロセスは決して楽しいものではない。今話題のラグビー日本代表も、「犠牲」を伴ったスーパーハードワークをしている。私も体育会系だったので、想像することはできる。私の部活でさえ、当時は「死ぬかもしれない」と感じたことはそれなりにあったので、日本代表の練習は想像を絶するものであろう。
チャンスはいつやってくるかわからない。そして、来た時に十分な知識や能力や技術が身についているかもわからない。でも来たら掴むしかない。そこでベストを尽くせるような、日常の努力はやはり大切だ。
信条
信条という言葉は、他に、「価値観」「ポリシー」「信念」なども、同じような言葉として用いられる。「座右の銘は?」なんて問いかけに答えるのも、一つの信条であろう。
「努力・気合い・根性」
正直なところ、「ジャズピアニスト」からこの言葉というのも、私の勝手な見方からするとなんともギャップがあるものだったのだが、これがまた共感したところであり、なんだか親しさや身近さを感じさせてくれたところだった。
「努力・気合い・根性」というのはなんとなく、「体育会系の言葉」のような感じが勝手にしていたが、思えば、どこの世界にいても尖ったものを見に付けていく人は多かれ少なかれこの要素をつかっているように思える。
最終的にはこれ(努力・気合い・根性)さえあればなんとかなると。
なるほど、たしかにそうかもしれない。
まとめ
過ぎ去ったチャンス、「逃した魚は大きい」って後悔していたとしても、そのチャンスはもう来ない。そして、後ろを向いて進んでいると、次にやってくるチャンスに気づくことすらできない。また来るチャンスを受け入れる準備をしながら、前向きに進む必要がある。
そして今回の記事を読みながらもう一つ感じたこと。人と人は影響を与え合い、受け合っている。周りにいる人、遠くにいる人、過去の人、もうこの世にいない人。誰からどのような影響を受けるかわからない。共感があったところには、自分の大事にしているところと触れているところが必ずある。そうすると、日頃気づけないような「自分が実は大切にしていること」に気づくことができたりする。
上原ひろみさんは面白そうだ…。是非近くでお会いしてみたい。というわけで、近い将来のライブのチャンスを狙っていきます。