育成には落とし穴がある。
あるタスクにおいて、自立してくると、
もうティーチングは必要ないのではないかという勘違いにとらわれる。

しかしこれは大きな間違いである。
人生においておそらく、
ティーチングが必要でなくなるということは、
死ぬまでないのではないかと思っている。
(少なくとも今の段階では…)

しかし多くのひとは、
すでにティーチングが必要ないものと錯覚をする。

人単位ではなくタスク単位での育成を

育成者の落とし穴

育成がある程度進むと、
「この人にはもう教えることは何もない」
「この人にはもうティーチングは必要ない」
という意識が生まれる。

そしてこの意識はしばしば、
タスク単位ではなく人単位で起きる。

「教えなくてもデキる人」

というレッテルを張るのだ。
そうすると、積極的に教えることをやめてしまったり、
関心を向けることもおろそかになったりする。

被育成者の落とし穴

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photo credit: pride sf : san francisco (2013) via photopin (license)

人は成長すると、プライドを持つ。

知識や技術が増え、そこに経験が伴うと、
「自分はできる」
と自信を持つ。

これは望ましいことだ。

同時に弊害もある。
過度なプライドはさらなる成長の妨げとなる。

自分はもう十分に成長した。
ティーチングは必要ない。
もうこの人から教わることは何もない。

などという意識が生まれる。
そうすると、立場や役割が変わった時に、
ティーチングに抵抗を示したり、拒否したりということが起きる。

育成の落とし穴 〜いくつかの例え〜

営業から人事へ

営業としてはスペシャリスト。
全社的にトップセールスマンとして認知されている。
たしかに営業としてはもう教えることは何もなく、
営業についてはすべての事柄を委任することができるという人がいたとする。

その人が人事へ異動。

すると、営業としてスペシャリストであったその人には、
過度な期待がかかることがある。

つまり、
「何でもデキる人」
という意識が生まれるということだ。

これは自分自身でも起きる。
つまり営業時代に培った知識や経験がプライドになっているということ。
そして周りも、出来る人として扱うので、あまり干渉しない。

その結果「人事として」必要な教育が与えられない可能性がある。

営業としてはスペシャリストだったかもしれないが、
人事としては新人同様であることもある。

この意識を自他ともに認めて、適切な育成をする必要がある。

プレーヤーからマネジャーへ

立場が大きく変わるときも同じだ。
プレーヤーとしては一流だった人が、マネジャーとして一流かはわからない。
しかし、プライドと周りの期待が育成を狂わせる。

立場を変えると、その立ち場に応じたティーチングが必ず必要になる。
そのことを育成者と被育成者が理解してい関わる必要があるのだ。

適切な育成の手段を選択する

育成者は、
「この人はもうデキる人」
と大きな枠組みでくくって考えるのではなく、
どのタスクについてはどれだけ出来るのかということを明確に把握して、
適切な支援をしていく必要がある。

タスクごと、あるいは役割ごとに、その人の現在地を理解すること。

このタスクについてはティーチングが必要だな。
このタスクは若干のコーチングが必要だな。

あるいは、今までの立場での仕事は、
ほとんどティーチングは必要なかったけど、
立場が変わったから、どんなティーチングが必要かを考える必要があるな。

などと、それぞれの人や場面に応じてどのような支援が必要かを考える必要がある。

これは実際には、非常に面倒なことだが、
育成の効率を最大限にするためには、必要不可欠なことだ。